部室の扉を開けたら、凄く気持ちよさそうに佐久間くんが寝ていた。背凭れのないベンチに器用に腰掛けながら、見えている片目は閉じられ、規則正しく呼吸を繰り返している。それに合わせて肩が軽く上下に動いていて、さらさらの髪の毛も簡単に毛先を捕まえられそうなくらいノーガードだ。普段触ろうとしたらまず間違いなくただじゃ済まないだろうけど。佐久間くんがこんなに無防備な姿を晒してる所に遭遇する事なんて滅多にないだろう。凄くレアだと思う。事実、私もこんな場面に遭遇したのは初めてだ。
ここには自分の荷物を取りに来ただけだし、折角の機会にと佐久間くんの観察を始めてみる。黙ってさえいれば女の子としても通用しそうなくらい可愛らしい顔立ちをした佐久間くんは、抱き付きたい衝動に駆られるくらい私の理性をぐらぐらと揺さぶってくる。流石にそんな事したら起きるだろうし、ただでさえ私には手厳しい佐久間くんに何を言われるか分かったものじゃない。その衝動は何とか自分の中に押し留めておく事にする。
それにしても本当可愛いなぁ、髪だって私より長くて綺麗だし、いいなぁ。
……私より長くて綺麗、か。
「…起きちゃ駄目だよ佐久間くん」
いつもは手厳しい事しか言わない佐久間くんも今は夢の中。ちょっとくらい遊ばせてもらっても罰は当たらないと思うんだ。だってそこに綺麗な髪があるんだもの、色々な髪型試してみたっていいじゃない!そのままいい夢見ててね、私もちょっといい思いさせてもらうから。
そっと佐久間くんの髪に触れてみる。全く引っ掛かりもせずに私の手をするりと抜けてしまった。何このサラサラ具合。自分の髪でこんな感覚一度も味わった事ないんだけど。
「…ポニーテール」
サラサラな感触を楽しみながら、まずはスタンダードな髪型にしてみる。髪飾りちゃんと持って来てて良かった。佐久間くんの髪型を水玉模様のシュシュで高く一本に結い上げてみる。非常に可愛い。
「…写真撮っとこ」
暫くポニーテール佐久間くんを堪能した後、まだ起きそうになかったので次の髪型に取り掛かる事にした。
「…ツインテール」
流石に私の制服に着せ替えたら怒るよね。もう佐久間くん明日から私と制服取り替えっこすればいいんじゃないかな。鬼道くんが言ってくれたらやってくれるかもしれないなぁとか思いながらも、勿論写真を撮る事は忘れない。何だろう、佐久間くんのこの尋常でない可愛らしさは。私そろそろ女の子止めなきゃいけない気がしてきたぞ。
「次は…三つ編みがいいかな、それともお団子にしようかな」
「まだやるつもりかよ」
「まだやるよー、折角佐久間くんがお眠りになってらっしゃるんだから!こんな機会滅多にな…。…?」
扉が開く音もしなかったし、この部室にいるのは私と佐久間君だけのはずだ。会話相手なんているはずがない。…勿論佐久間くんが寝てるなら、の話だが。
目の前の佐久間くんの顔をじっと見つめてると、溜め息と共にゆるりと目が開かれた。
「佐久間くんおはよういい朝だね!……あの、つかぬ事をお伺いしますが、いつからお目覚めで?」
「部室の扉が開いた時からだな」
「…と、言いますと」
「お前が人様の髪を好き放題してたのもきっちり知ってるって事だな」
先刻までの可愛らしさは何処へやら、口を開いた佐久間くんの口には意地悪そうな笑みが浮かべられる。余裕を見せつけるかのようにゆっくりと足を組み、その足を支えに頬杖までつき始めた。
「全く、人が寝てるのをいい事に玩具にしやがって」
「え、いや寝てなかったよね確実に起きてたよね佐久間くん!?今の言い方だとそういう事なんだよね!?」
「誰も寝てるなんて言ってないだろ」
「そもそも本当に寝てる人は“寝てるんだぜ”なんて自己申告しないよ佐久間くん!?」
「そりゃそうだろ」
「起きてるのに何も抵抗しないのは肯定の意とみなします!」
「許可出した覚えもないけどな」
…あっ、あぁ言えばこう言う…!やっぱり佐久間くんはいつもの佐久間くんだ。口では勝てそうなビジョンが見えない。見た目は可愛いのに何て悪いお口なんだ。これが所謂ギャップと言うものなのだろうか。ギャップにキュンとくる事も…まぁない訳じゃないけれども!だけど、もう少しくらい私に優しくしてくれたって罰は当たらないと思うんだ!
「一応言っとくが、別に怒ってる訳じゃないぞ」
「…え、あぁ、そうなの?なら良かっ…」
何だ、そういう大事な事はもっと早く言ってくれないと。てっきりこれからじっくりゆっくり佐久間くんの毒舌タイムが始まるかと思ったのに。
…なんて、そんな事を思った私の考えは甘すぎた。そう、佐久間くんが髪の毛で好き勝手遊ばれてタダで済ますはずがないのだ。そもそも普段から弄らせてくれるならわざわざ寝てる時にしなくても構わないのだから。
「ただな、この俺で遊んでくれた分の対価は貰っても別に罰は当たらないよなぁ?」
「…へ?」
うっわぁいい笑顔。眩しすぎて直視出来ないくらいのいい笑顔。なるほどこの為に狸寝入りしてた訳か。無駄な所で参謀の能力発揮しないでほしい。サッカーする時だけでいいよ参謀役は。たまには頭休めようよ。
「俺が起きるまで身動き一つ取るなよ」
丁度凭れるモンが欲しかったんだよ、そう言って佐久間くんは私の肩を枕代わりに今度こそ本格的に眠りに就く体勢に入った。
「え、えぇ?ちょっと佐久間くん!?」
「選手を支えるのがマネージャーの仕事だろ、つー訳であと宜しく」
「え、えぇ!?」
今度は本当に寝息を立て始めた。私の返事はまるっと無視だ。何処かのガキ大将か佐久間くんは。本人には口が裂けてもそんな事言えないけど。でも参ったな、これじゃ私が帰れないじゃないか。窓の外を濃紺が支配していく光景を見ながら、大きく息を吐く。…というか、支えるってこういう物理的な事じゃないでしょ絶対、もっとこう、精神的な感じで縁の下の力持ちって感じな支えって事でしょ。
とは言え、考えた所で佐久間くんが目を覚ます訳でもなければむしろ覚まそうものなら私の目が永遠に覚めなくなりそうな恐怖を味わう事になりそうだ。仕方ない、このまま大人しく帰宅時間は遅らせる事にしよう。それで責任をもって帰りにお腹が空いた分のハンバーガーでも奢ってもらって、家に着くまでの話し相手くらいにはなってもらおうか。





獲物を誘う花の反撃
(届かないなら、誘えばいい)