部活動も終わり、多くの部員が夕暮れの中自転車を漕ぎ出して行くのを見送りつつも私はコートに残って一人汗を流していた。
試合に勝つにはシュート出来なければ話にならない。当たり前の事だが、その当たり前の事、つまり基本が出来ない人間は試合では結局何も出来ないのだ。
そんな訳で今日も窓の外がどんどん濃紺に染まっていく中、体育館で一人シュート練習に励んでいた訳なのだが。
「俺さ、スリーポイントって苦手なんだよね」
そう言いながらも狙いを違う事なくゴールへとボールを吸い込ませていく尾浜。
広々とした体育館の中、私達の他には誰も居やしないのにわざわざ私の後ろでシュート練習を始めた尾浜が何を思ったのか私に話しかけてきた。
苦手だって言うなら集中しろよと思ったが、会話を投げ掛けられた以上話に応じるくらいはしてあげる事にした。
背中合わせで別々のゴールを目標点としながら、会話のキャッチボールを始める。
「…そのシュート率でそんな事言われたら私どうすればいいの、スリーポイントなんてちっとも入らないんだけど」
「ははっ、それもそうか」
「そこはフォローしてくれる所でしょ」
「俺、嘘吐けないからなぁ」
「…うっかり手が滑ってボールぶつけちゃったらごめんね、先に謝っとくわ」
「痛いのは勘弁してほしいなぁ」
軽口を叩きながらも、尾浜は次々とボールを投げてはリングの中へと放り込んでいく。
一体全体これだけのシュート率を叩き出しておいて何処が苦手だというのか聞いてみたい。私の考える「苦手」の定義と尾浜の考える「苦手」の定義は真逆なんじゃなかろうか。
まぁ本人が苦手だって言って練習してるんだから何かしら克服したい箇所があるんだとは思うけれど。
そう言えば私も部活が終わった後は殆ど残って自主練しているが、尾浜もよく残っていく。
少なくとも私が練習してる時には必ずと言ってもいいほどいるんじゃないだろうか。よくよく思い返してみると、いつも自主練してる時は声を掛けられたり、一対一の勝負形式の練習にも誘われたりした記憶がある。
それだけ練習熱心なら、苦手だと言っているスリーポイントさえも滅多に外さないくらいの実力があってもおかしくはないけど。
思い返せば自主練で残っていく日に一人で帰った記憶もない。方向が一緒なのか「一人で帰ったってつまんないだろー」なんて言いながらもれなく尾浜も付いてくる。
お蔭で家族に「彼氏なの?彼氏なの?早く紹介しなさいよね」とからかわれる始末だ。どう責任を取ってくれる。
私一人で帰るよりは尾浜と帰った方が夜道を歩く危険性は多少なりとも遠ざかるだろうし、その事には素直に感謝するが、こんなオプションは欲しくなかった。
…ひょっとしたら友達と帰る日よりも尾浜と帰る日の方が多いんじゃなかろうか。
私は別に一人でも帰れるけど、一人で帰るのがつまんないと思うなら男友達とでも帰ればいいだろうに、わざわざ私を選ぶとは尾浜も物好きだ。
まぁ、ただ単に同じくらいの時間まで残ってるからって理由なんだろうけど。
「…あ、そう言えば数学の課題明日提出だっけ」
「あれ、まだ終わってなかったの?」
投げ終わった後にふと思い出した事を呟くと、尾浜にもそれが聞こえたらしい。その言い振りだと尾浜はもう終わったんだな。…何か悔しい。
丁度その時手放したボールはリングに当たって弾き返された。更に悔しくなった。尾浜に罪はないけれど悔しいから尾浜の所為って事にしておこう。うん、尾浜の所為だ。全く尾浜め。
「…あともうちょっとで終わるもん」
「分かんない所あるなら教えてあげようか?バニラシェイクで手を打つよ、帰り道通るでしょ」
「………私も丁度飲みたかった所だし、仕方ないから尾浜にもお裾分けしてあげる」
「素直に“教えてほしい”って言えばいいのに」
「…やっぱりまっすぐ帰ろうかな」
「ごめんごめん、ちょっとからかいすぎたか」
って面白い反応してくれるからさ、ついつい遊びすぎちゃうんだよな。
私にとっては迷惑極まりない事を言いながらも尾浜は視線をリングから外さない。
背中合わせになっている今の状態では彼の表情を窺う事は出来ないが、しかし楽しそうな表情を浮かべているであろうという事だけは分かる。
人を玩具にしやがってこの野郎。可愛らしい顔立ちの癖に何て性格してるんだ。性格も可愛らしく素直だったらただの可愛いバスケ部員仲間で済んだのに。
…あぁ、でも尾浜とよく一緒にいる久々知も綺麗な顔して結構遠慮なく物を言うし、綺麗な人間にはやっぱり棘が付き物なのだろうか。
「そう言えばさ、」
空気の入り具合を見てるのだろう、ボールを軽く床に数回叩き付けて感触を確認しながら、また新しい話題を持ち掛けてくる。
「野球部の奴とかがよく“今日の試合でホームラン打てたら伝えたい事があるんだ”とか言ったりするだろ」
「これまでの人生で実際に言われた経験はないけどね」
「まぁ俺もないんだけど」
「尾浜が言われた事あるって言ったら私どう反応するべきだろうって思ってたんだけど、杞憂だったみたいね」
「…そんな杞憂欲しくはなかったかな」
脳内でシミュレーションでもしてみたのか、勘弁してくれと言いたげな声音で返された。
まぁ、女の私が言われた経験ないのに男の尾浜に言われた経験があるだなんて答えられたら、正直何とも言えない複雑な気分になるだろう。
…いや、そもそも現実にそんなベタな告白する人間なんているんだろうか。そっちの方が気になる。野球部員だってきっと普通に告白するだろう。確かにそれでホームランを打てたなら格好良いかもしれないが、そもそもそんな大口叩いてその日試合メンバーにすら選ばれなかったらどうするんだろうか。その前に、そんな事言われた時点で相手の女の子にバレバレじゃないか。脈ありならまだしも、もしその子にその気がなかったらどうするつもりなんだろう。考え出すとキリがない。
「俺さ、そんな宣言しただけで簡単にホームランが打てるんだったら普段からその本気出せよとか、もしそれで打てなかった場合はどうするつもりなんだよとか思うんだよな」
だってさ、そんだけ大口叩いといて打てなかったら格好悪いじゃん、と尾浜は続ける。
尾浜も私と同じ考えのようで、思いの丈をつらつらと述べる。それも結構な毒舌で。
そろそろシュートを打ち続ける事に飽きでもしたのか、器用に人差し指の上でボールをくるくると回転させ始めた。何となく地球儀を思い出す。特に理由がなくても無駄に回転させたくなるんだよね、地球儀って。
「それにさ、“打てたら”っていうのが、何て言うか、告げるかどうかを運命に投げ出した感じがして好きじゃないんだよ。ただ自分で決断出来ないから運に任せてるだけじゃないか」
「…まぁ、確かにそう言われてみればそうかもしれないけど」
確かに尾浜の言う通り、ただ単に踏み出す勇気が出ないから運に任せて背中を押してもらおうとしているようにも取れるだろう。
指の上で器用に回転させていたボールを再び両手で包み込むと、尾浜は「よし、それじゃ見ててよ」と体育館の床をキュッと鳴らしてシュートの構えをする。
「だからさ、俺は“このシュートを決めたら”なんて弱気な事言わないよ。このシュートが入ろうが外れようが関係なく、このボールを投げたら、俺、に言いたい事言うよ」
曲げた膝を伸ばし、その勢いでボールは綺麗な弧を描き出した。
「…俺、の事が好きだ」
ぱさり。ネットをくぐり抜ける音が響く。その後重力に従って落ちるボールを体育館のフロアが受け止めて、まるで自分の役目は果たしたと言わんばかりに段々とバウンド音が小さくなっていった。





逆転ブザービーター

(逆転のチャンスがあるんだ、ならまずは投げなきゃ、だろ?)