「ぬーすーんだバーイークーで走り出すー」
「盗んだバイクで走ってくれた方がまだ安全よ!何で自転車で車を次々追い越してんの!?」
「何言ってるんだ、泥棒は犯罪だから盗んだりなんてしないぞ!」
「じゃあ聞くけど、小平太はいつから“食満留三郎”になったの?あいつ小平太にだけは自転車貸さないでしょ、無惨な姿で戻ってくる事確定なんだから」
自転車本体にご丁寧に貼られた、所有者を示すシール。そこに書いてあったのはノリノリで足を動かすこの男の名前ではなく、別の級友のフルネームだった。
第一、小平太が乗った自転車が無事でいられる訳がない事が分かり切っているのに貸す訳がない。こんなに手入れの行き届いた自転車を見れば分かる、小平太はきっと強引に留三郎に借りてきた挙句に強引に私を重り代わりにして自主トレに励んでいるのだと。今頃留三郎泣いてるだろうな、可哀想に。
もう二度とこの元気な姿を見れないであろう留三郎の事を考えると私も泣けてくる。だって私も巻き込まれるんだもの。
「安心しろ、許可は後で貰うから!留は優しいからきっと許してくれるぞ」
「結局盗ってんじゃん」
「盗ってなんかないぞ、失礼な!後でちゃんと返すからいいんだ!」
「追い討ち掛けてどうすんの」
この手の入れ具合からして、大切に乗ってたんだろうな。
小平太も何で文次郎のとかにしなかったんだろう。たまにブレーキが効かないからかな、壊れたのそのままにしてるからあいつは。いやでも自転車におけるブレーキの存在意義知ってるのかな小平太。…知らないだろうな、きっと。
安全さを選んだのかという考えは、まず真っ先に消すべきものだろう。小平太にとって、安全という言葉は別次元に存在するものだ。こいつに限ってそれはない。
私の言葉に「何言ってるのかよく分かんない」と言いたげに首を傾げながらも、どうやら考えるのが面倒になってきたらしく、また漕ぐのに集中し始めた。
バイクにスピード違反があるのに何で自転車にはスピード違反が定められていないんだろう。自転車が車を追い越す事を想定していなかったのだろうか。だったら小平太のこの記録を今すぐギネスブックに載せるように申請するべきである。ついでにその記録に付き合わされて風を感じるどころか風そのものになれそうな勢いの私も表彰されるべきである。
振り落とされてはたまらない、伊作みたいに転がり落ちたくなんかない。
周りの車を追い抜く度に自分達の移動速度が身に染みて、思わず小平太にしがみつく手に力が入る。不可抗力だ。死ぬなら大往生だって決めてるんだ。
「やっぱり留三郎の自転車はいいな!すっげー走りやすくて気持ちいい!」
「標的は文次郎に絞ってあげなよ、可哀想なのは文次郎一人で十分だから」
文次郎にとっては理不尽すぎる事を言った気がしないでもないが、まぁいいか。だって文次郎だし。
「まぁ別に文次郎の自転車でも俺は良かったんだけどさ、どうせ飛ばすなら気持ちいい方が楽しいじゃん」
確かにそれも一理ある。無駄に不快指数を底上げする必要なんか何処にもない。やたらガッコンガッコン縦に揺らされる自転車よりも、手入れの行き届いた自転車の方を選びたくなるのが巻き込まれる側の心理として当然のものだろう。
「それで小平太、私達は一体全体何処を目指してる訳?」
留三郎の自転車と私という、多大な犠牲を払ってまで行き着く先は一体何処なんだろう。このまま日本縦断だって出来かねない勢いなんだけど。
「ああ、」とハンドルを握る小平太から声が上がる。
「そんなの決めてないぞ!ただと何処かへ行きたかった、それだけだ」
「行きたい所があったら遠慮なく言ってくれ、何処へだって行ってみせるから」と言う小平太に、安全だって自転車の持ち主の事だって、どうでも良くなってしまった。





風を追い越す、その背中

(その背中に全てを託して)






ちなみにこの後、留三郎の自転車は天に召されました。
…うん、何て言うか、留三郎ごめん。