「ねぇちゃん、ちょっといいかな?」
「はい?」
焔硝蔵で火薬委員の仕事のひとつである在庫確認をしていると、タカ丸さんに声を掛けられた。
「何ですか?」
声のした方へと顔を向けると、タカ丸さんはじいっと私の顔を覗き込むように前屈みになって、何事かを考える素振りをした。
「んー…ちょっとごめんね」
私がその断りの言葉を認識する前に、私の視界が一瞬で良くなる。
「え、あ、あの…」
どうやら私は前髪を上げられたらしく、タカ丸さんと直に視線が交わる。
「んー…」と、じっと私を観察していたタカ丸さんは、何か納得したようで元の姿勢に戻る。
「うん、やっぱりちゃん前髪上げた方が可愛いよ!折角可愛いのに顔隠してちゃ、勿体ないよ」
「え、そ、そんな…、お世辞言っても何も出しませんよ!」
「お世辞じゃないよ、本当の事だもん」
人見知りの激しい私は、人と目が合うだけでも逃げ出したくなるのをどうにかしたくて、対策として前髪を目が隠れるくらいまで伸ばしている。
くのたまの友人には時々「前髪上げればいいのに」と言われたりもするが、こんな風に忍たまの人に言われた事なんてなくて。
何と返せばいいのかわからず、音を発する事なく口を開いたり閉じたりしていると、そんな私を見ていたタカ丸さんがくすり、と笑った。
「ね、ちょこっと髪いじらせて?兵助君に絶対“可愛い”って言わせてみせるからさ」
「…っ」
どうやら私の気持ちはタカ丸さんには筒抜けだったようだ。
顔が一気に熱を持つ。
「駄目かな?」
「…いえ、お願いします」
折角協力しようとしてくれてるんだ、どうせバレてるなら、お願いするだけしてみよう。
可愛らしく小首を傾げて尋ねてくるタカ丸さんに、私は一礼して了承の意を示した。



「はい、出来上がりー。どう?」
「わぁ…」
タカ丸さんは可愛らしい髪留めで私の前髪を綺麗に纏め上げて、私に見えるように鏡を掲げてくれた。
「今は委員会中だからこれくらいしか出来ないけど、髪型変えたくなったらまた僕に声掛けてよ。いつでも受け付けるからさ」
そう言ってへにゃりと笑うと、タカ丸さんは再び書類と筆に手を伸ばした。
「さ、それじゃ早く終わらせちゃおっか。兵助君の所へ行かなきゃだもんね」
「は、はいっ!」
私も急いで筆を持ち直し、作業を再開した。



「これで終わり、だね」
「はい!」
タカ丸さんが手伝ってくれた事もあり、思ったよりも早く仕事が片付いた。
「さ、仕事も終わった事だし、早く兵助君に見せといで」
「あ、ありがとうございますタカ丸さん!」
優しく背中を押してくれるタカ丸さんに、一礼して感謝の言葉を述べた後、「行ってきます」と言って駆け出した。
…久々知先輩、どんな反応してくれるだろう。
そんな事を考えていたら、あっという間に先輩の作業している場所に着いてしまった。
心臓がばくばく言っている。
行かなきゃ、と思っても、私の足は地面にくっついたようにその場から動かない。
柱の陰で立ち往生していると、気配を察知したのか、先輩がさらさらと走らせていた筆を止めてこっちを振り向いた。
「あれ、どうしたのちゃん?」
先輩の綺麗な目に見つめられ、また心拍数が上昇する。
だけどここでずっと沈黙していても先輩を困らせるだけだし、と気を奮い立たせて口を開く。
「あ、あの、在庫確認終わりました!」
「ん、お疲れ様」
書類を手渡して報告すると、先輩は真剣な表情でぱらぱら捲って中身を確認する。
かなりの量なのにあっという間に目を通し終えてしまう辺り、やっぱり先輩は優秀なんだと改めて感じさせられる。
「特に変わった所はなさそうだね…。お疲れ様、ちゃん」
にっこりと笑って労いの言葉を掛けてくれる先輩に、身体中熱くなるような感覚がしてくる。
普段でさえそうなのに、今日は前髪を通さない分はっきりと見えて、余計に。
「あ、ところでさ、」
先輩と直に目が合う。
先輩のぱっちりとした目の中に、いつもとは違う姿の私が映されていて、今の私はこう見えてるんだな、とぼんやり思う。
「髪型変えたんだね、似合ってるよ」
そう褒めてくれた久々知先輩の表情は何処か柔らかくて、きゅっと胸の奥を締め付けられる感覚がした。
「え、あ、ありがとうございます…!」
先輩に褒められたのが嬉しくてたまらなくて、でも何処かくすぐったくて落ち着いてなんかいられなくて、「おっお先に失礼します!」と
言い残して飛び出していくので精一杯だった。



「“可愛いよ”って言ってあげれば良かったのに」
「…見てたんですか、タカ丸さん」
「いやー微笑ましい光景だったから、つい」
脱兎の如く駆け出して行った彼女の背中を見送っていると、ひょっこりとタカ丸さんが顔を出した。
この年上の後輩は、今一掴み所がなくて食えない人だ、と思う。
「兵助君はもうちょっと積極的になった方がいいと思うけどねぇ」
「……余計なお世話ですよ」
それが出来たら、どれほど楽になるだろうか。
委員会の先輩後輩の関係でさえ、壊れるのを恐れてるっていうのに。
確かにタカ丸さんの言う事ももっともなのだが、だからと言ってはいそうですか、とすぐに実行になんか移せない。
自分の情けなさに思わず溜め息が零れる。
「…でもまぁ、今回はタカ丸さんに感謝しますよ。タカ丸さんでしょう、ちゃんの髪をああしたのは?」
思い切って似合ってるね、と褒めた時に見せてくれた、あのはにかむような笑顔だけで、頑張って言ってみてよかったと俺まで嬉しくなった。
きっかけを作ってくれたタカ丸さんには、感謝してもしきれないくらいだ。
「僕はほんの少しお手伝いしただけだよ。後は兵助君次第」
笑顔でさらりとそう言って、「じゃあ僕もお先に失礼するよー」と踵を返して歩いていったタカ丸さんを見ていると、ほんわかしていてもやっぱり
この人は年上なんだな、と実感する。
…後は俺次第、か。
髪留めを贈ったら、また今日みたいに前髪を上げてくれるだろうかなんて考えながら、俺は長らく止めていた手を再び動かし始めた。





簡単な世界の変え方


(明日からこの髪型にしようかな)
(仕事が終わったら、買いに行ってみようか)