「報告済ませてきたよ、もう今日は上がっても……って、」
日もとっぷりと暮れた夜、いくら忍者のゴールデンタイムと言っても流石に身体の出来上がっていない下級生やこの学園に来てまだ日の浅いタカ丸さんに
遅くまで仕事を手伝わせる訳にもいかず、必然的に三人を先に帰してと二人で作業する事になった。
作業も一段落したので、に後を任せて土井先生に報告をしに向かった俺が戻ってくると、焔硝蔵の暗闇の中、棚を背もたれに気持ち良さそうに眠るの姿があった。
「…寝てるのか」
起こそうかどうか多少逡巡したが、このままここで寝かせておく訳にもいかない。
夢の世界の住人となっているに近付いても起きる気配がないので、彼女の傍らにしゃがみ込んで柔らかそうな頬を横に引っ張ってみる。
…おぉ、よく伸びる。
その柔らかさが思ったよりも気持ち良くて、暫く好き放題にの頬で遊んでいたのだが、眉間に皺を寄せて「んー」と声を漏らすだけで、余程疲れていたのか
一向に起きる気配を見せない。
ここまでされても起きないなんて、くのたまとしてどうなんだ。
敵地で寝なきゃいけない時もあるだろうに、と心配になってくる。
…というか、忍たまも来るような場所でこうも無防備に寝顔晒さないでくれ。
何かあったらどうするんだよ、と諫める代わりに溜め息をひとつ零す。
それにしても、本当に気持ち良さそうに寝てるよな。
起こすのを諦めた俺は、未だに目を覚まさないの顔を眺める。
普段はぱっちりと開かれている大きな瞳は閉じられ、長い睫毛が目元に影を作っている。
規則正しい呼吸音に合わせて、薄く開かれている桃色の唇もかすかに動いている。
「……」
桃色に色付いたその唇はふっくらとして柔らかそうで、思わず喉が鳴る。
美味しそう、と一旦思ってしまうと意識はそこから離れなくなってしまった。
「何かあったらどうするんだ」なんて他人事のように考えてる場合じゃない、俺がその「何か」を起こしそうだ。
あぁもう、人の気も知らずに幸せそうに寝やがって。
ちょっとくらい危機感持ってくれよ、俺が戻ってくるの分かっててこんな無防備な姿晒すとか、お前は俺を試してるのか、そうなのか!?
多分は悪気なんて全くなくて、ただ眠かったから寝ただけなんだろうが、振り回される俺としてはこのままじゃ面白くない。
…お前が睡眠欲に忠実になるなら、俺も少しばかり本能に従ってみようか。
床に座り込んで熟睡中のの、その綺麗に伸ばされた足に跨るようにして、彼女と正面から向かい合う。
いいか、言っとくが俺はちゃんと起こす努力をしたからな。
「…起きないでくれよ、頼むから」
そっと、俺より一回りは小さい彼女の手に俺の手を重ねてそう願い、柔らかかったその頬にそっと手を添えて、吸い寄せられるようにゆっくりと距離を詰めていく。
(…うわ、柔らか…)
俺達を隔てる物が何もなくなり、蕩けそうなくらいに柔らかな温もりに触れる。
そのままの呼吸まで飲み込みたい衝動に駆られたが、それを何とか抑え込んで身体を起こす。
距離が元通りになっても鮮明に残っている温もりと感触に、思わず口元を押さえ込む。
…夢じゃ、ないんだよな。
実際に触れた時には感じなかった気恥ずかしさが今になって襲ってきて、顔どころか身体中が熱くなってくる。
自分でやっといてこんな事思うのも何だけど、俺暫くの顔まともに見れないな。
見る度に先刻の感覚思い出しそうだ。
少し落ち着こうと深く息を吐き出し、の上から退こうと腰を上げかけた、その時。
「…久々知君ってさ、時々凄く大胆だよね」
先刻まで気持ち良く夢の世界に旅立っていたはずのの声が響き、思わず固まった。
「…いつから起きてたんだ?」
「久々知君が焔硝蔵の扉開けた辺りからかなー」
「…起きてたなら最初っからそう言ってくれ…」
そうか、「穴があったら入りたい」ってこういう気持ちの事なんだな。
思い出しただけでそのまま埋まりたくなるようなあの俺の一連の行動が、まさか全てに筒抜けだったなんて、あぁもう本当俺今すぐここから逃げ出したい。
「いやぁ、久々知君どんな反応してくれるかなって思ってね。大胆な久々知君も見れた事だし、寝た振りしてて正解だったかな」
「頼むからその事は忘れてくれ!いいか、断じて俺は悪くないからな、狸寝入りしてたお前が悪いんだからな!」
「…じゃあ、寝てたらもう一回してくれるの?」
「……は?」
「もう一度してほしいなー、なんて」
俺の耳はいつから人の言葉を都合良く変換するようになったのだろう。
の言った事がすぐには理解出来なくて、ちょっと間を置いてから聞き返してみるが、やっぱり俺にとって嬉しい言葉にしか聞こえなかった。
はにかんだ笑顔でそう言ったの頬をそっと撫でるように包むと、彼女は俺の行動を受け入れるように目を閉じた。
…聞き間違いじゃ、ないんだよな。
確かめるように、俺はもう一度との距離を零にした。
名残惜しく思いながらまた離れると、じっと俺を見据えると視線がかち合った。
「…一応言っとくけどな、俺はお前だからその、く、口付けたんだからな!誰でも良かったって訳じゃないからな!」
「それは詰まる所どういう事なのかな、久々知君?」
その見上げてくる視線に耐え切れずに目を逸らしてそう言うと、明らかに分かっているだろうに、そんな返答が返ってきた。
見なくても分かる、今絶対楽しそうな表情浮かべてるぞこいつ。
どうやら俺に残された選択肢は、「言う」のひとつしかないようだ。
「…が好きだからだよ、分かってる癖に言わせんな!」
「いやぁ、やっぱり久々知君の口から直接聞きたいんだもん。私も好きよ?久々知君の事」
あぁもう、本当に敵わないな、には。
お伽噺のようにはいかないけれど、
(お姫様は王子様の口付けで目を覚ます、なんてね)