きらきらと光を受けて色とりどりに輝くシャンデリア、これ以上ないくらいに純白なテーブルクロスの上には普段お目にかかれないほどのご馳走が
所狭しと並べられていて、行き交う人は皆例外なく高級そうなスーツやドレスを着こなしている。
このだだっ広い部屋の中央に設けられた演壇の上にこのパーティーの主催者であるお偉いさんが登ると、それまで挨拶回りやら何やらで忙しなく
歩き回っていた人達もその場に留まり、真剣に話を聞こうという姿勢を見せる。
こういう話って始まると長いのよね、と私は隠しもせずに大きな溜め息をひとつ、盛大に吐いた。
「ねぇ久々知、このつまんない話いつ終わるの?私早くあのご馳走食べたいんだけど」
「…お前何でここにいるか分かってるか、?」
「依頼人の一人娘の身代わりでしょ、ちゃんと分かってるよ」
「分かってるならもっと緊張感を持ってだなぁ…」
「なーに言ってるの、他の人に取られる前にどれだけあのご馳走達をお腹に詰め込めるか今この瞬間も真剣に考えてるんだからね私。ここちょっと
テーブルから遠いし、いつ食べていいって言われるのか分かんないし、緊張しまくってるよ」
「…いい加減食べ物から離れろ、誰が護衛しなきゃならないと思ってるんだ」
「えー、やっだなー久々知、そんな事も忘れたの?久々知と綾部に決まってるじゃない、私今回一般人を装ってんだからさ」
ここまできっぱりと言い放たれると流石に言い返す気にもなれないのだろう、はぁ、と大きな溜め息を零した久々知はそれ以上何も言ってはこなかった。
いや、だってこんなご馳走見た事ないし、この機会を逃したら次にいつ食べられるか分かんないし。
そもそも何で私がこんな場違いな所にいるのかというと、それは一週間前に遡る。
「お嬢様の身代わり、ですか?」
「頼めますかな?」
うちのファミリーに依頼に来たのは、結構名の知れた富豪だった。
何でも、その富豪の一人娘がここ最近何度も狙われているのだそうで、どうしても席を外せないパーティーに娘の代わりに来てほしい、と言うのだ。
「別に私は構いませんけど…」
私みたいな、お嬢様らしさなんか欠片も見当たらない人間で良いのだろうか。
そんなニュアンスを込めて返事をすると、先程まで話を聞いているだけだったボスが「が良いのなら、その依頼、引き受けよう」と了承した。
「そのお嬢様の写真があれば、変装させますが?」
依頼を引き受けたら、後は細かい打ち合わせだ。
ボスが了承してから間髪入れずに、鉢屋が依頼人に話を振る。
「あぁ、変装の必要はないよ。こういう立場にいると狙われやすいものでね、常々情報操作してるんだ」
「分かりました。では“富豪の娘”に見えるようにすれば良いんですね?」
「そういう事だ、よろしく頼むよ」
…とまぁ、そんなこんなで「富豪の娘」とは大層懸け離れている私は、鉢屋のメイクと斎藤さんのヘアメイク、そして作法委員である綾部が準備した
きらびやかなドレスによって、外見だけは何とかそれらしくなったものの、中身は変わるはずもなく、ここでこうして食べ物を見つめている訳だ。
「お話終わったみたいですよ」
「え、もう食べ物取りに行ってもいいの?じゃ、私ちょっと行ってくる!」
「ちょっと待て護衛の俺らを置いてくな!」
のんびりとした口調で綾部が戦いのゴングを鳴らしてくれた。
私を呼んでいる可愛い可愛いご馳走達のために駆け出すと、慌てて久々知が後を追ってくる。
綾部に至っては「おやまぁ、行っちゃった」なんて言いながら急ぐ訳でもなく、暢気にとてとてと歩いてきているが、今の私はそんな事に構ってはいられない。
絶対、ご馳走を勝ち取ってやるんだから!
「ん、これも美味しい」
「一体どれだけ食べれば気が済むんだ…」
「私が満足するまで」
「…聞いた俺が馬鹿だったんだな、そうだよな」
「二人とも食べないの?凄く美味しいよ?食べたいのあったら持ってくるからさ」
「あ、じゃあこれ分けて貰ってもいいですか、先ぱ…お嬢様」
「いいよ、じゃ口開けて。はい、あーん」
「あーん」
お皿に山のように盛り付けてきた料理をむぐむぐと食べていると、久々知に呆れたように言われた。
まぁそれもそうか、狙われてるの私だし。
私は銃を向けられた所で「きゃー、怖ーい」なんて悲鳴を上げて守ってもらうようなか弱い女の子ではなく、むしろ「私に銃を向けるとはいい度胸してるねぇ」と
売られた喧嘩は買うタイプの人間なので、狙われてるからといってびくびくするような事がないだけなんだけど。
とはいえ、いつ狙われてもおかしくはないからと、表向きはお嬢様である私の護衛役であるために、両手を塞ぐ事の出来ない二人が、何も食べられないのは
申し訳ないと思って料理を勧めてみると、先程まで料理に関心なさそうにぼーっとしていた綾部の方が食い付いた。
スプーンに綾部ご用命の料理を載っけて差し出すと、素直に口を開いて食べてくれた。
…まさか本当に食べてくれるとは思わなかった。
雛鳥に餌をやってるような感じがする。
可愛いな、と思ってもう一口差し出してみると、先程と同じくかぷりとスプーンに食い付いた。
「どう?美味しい?」
「美味しいですよ、先輩が食べさせてくれるなら」
後から付け足された予想外の言葉に、思わず持っていたお皿を取り落としそうになる。
「…そういう台詞は一体何処で覚えてくるのかな綾部君」
「思った事を言っただけです」
「そうか立花先輩か、あの人こういう事言いそうだもんな…。可愛い後輩に何て事教えてくれてるんだあの人は」
帰ったら「私の可愛い後輩に何て事してくれたのよこのケダモノ!」くらい言っとこう。
しんべヱと喜三太さえ連れて行けば返り討ちも全く怖くない。よしそうしよう。
「あ、久々知も食べる?」
「…いや、俺はいい」
「僕も久々知先輩と同じスプーンを使うのは嫌です」
「そんなモン俺だって願い下げだ!」
「…新しいスプーン貰ってこようか?」
「いや、そういう問題じゃ、」
「そうですよ、久々知先輩はただ先輩に食べさせてもらうのが恥ずかしいだけなんですから」
「綾部、お前…!」
「おや、図星でしたか」
「…後で覚えてろ綾部」
「あらあら、久々知ってばシャイなのねぇ。まぁ知ってたけど」
「お前も便乗するな!」
久々知にも勧めてみると、少し躊躇うような素振りを見せた後にすっぱりと断られてしまった。
綾部の言った事が真実なのかどうかは判断しかねるが、綾部に乗っかってからかってみると少し機嫌を損ねてしまったようで、「あぁもう、」と自分の頭を少し掻き撫ぜると、
「周りの様子を探ってくる」と言って姿を消してしまった。
「…怒らせちゃったかな?」
「気にしなくても大丈夫だと思いますよ。…それより先輩、」
「途中から私を“お嬢様”扱いする気全くなくなったよね、綾部」
「先輩は“先輩”ですから」
果たしてこれは喜んでいいのだろうか。
どう反応するべきか考えあぐねている私を余所に、綾部は自分の言いたい事だけをぽんぽん言ってくる。
「そんな事より、ちょっとここから出ませんか?デザートが出るまではまだ時間があるみたいですし、もう十分食べたでしょう」
「…あぁ、そうね。じゃ、ちょっと夜風にでも当たってきましょうか」
…成程、そういう事か。
綾部の申し出に出来るだけ自然な返答をすると、綾部は「じゃあ、行きましょうか」と扉へ向かってすたすたと歩き始めた。
「涼しいねぇ、綾部」
「そうですねぇ」
豪勢に飾り立てられた会場内とは正反対に、すっかり暗闇に包まれた外は静かで落ち着ける。
「…先輩、今持ってる武器は」
先刻までとは打って変わって、小さく抑えた声で問い掛けられる。
「銃と、暗器がいくつか、かな。…五人ってところね」
「そのようですね」
互いに目で合図をして、同時に振り返る。
すると、見るからに柄のよろしくない男達が三人、にやにやと笑いながら立っていた。
「さぁ、痛い思いをしたくなけりゃあそのお嬢ちゃんをこっちに渡してもらおうか、坊や?」
「まさか護衛がガキ二人だとは思わなかったぜ、しかも一人は途中で勝手にいなくなってくれたしな」
「こりゃあ思ったより早く片が付くんじゃねぇか?」
明らかに私達を嘗め切った態度でそう言ってくる男達を無視して背後の様子を確認してみると、そこにも二人、男が立っていた。
いわゆる挟み撃ち、って奴だ。
「さぁ、もう逃げ場はないぞ?」
「観念して大人しくするんだな」
背後の男が言うが早いか、正面の男三人が私達の方へと駆け出してくる。
と、その時、上から黒い影が降ってきた。
「がっ!」
「ぐっ…!」
「うぅ…!」
「成程、これは確かに思ってたよりも早く片が付くな。ここまで弱いとは思ってなかった」
「久々知!」
颯爽と現れたかと思えば、久々知はあっという間に男三人を素手で薙ぎ倒してしまった。
「あまりにもバレバレな視線を注がれてるモンだから、敢えて隙を作ってやったんだけど、まさかこんなに上手くいくとはな」
久々知がそう言って残りの男達に目を向けると、一瞬怯みはしたものの、「…かっ、かかれぇ!」とがむしゃらに突撃してきた。
「…あぁ、そうそう」
「え?」
「あん?」
「…う、うわあああ!」
「そこには罠があるから動くと危ないよー」
完全に罠に掛かった後に言った辺り、元々注意を促すために言ったのではないだろうが、小さなスイッチのようなものを握った綾部が、ぽっかりと口を開けた
大穴の中に向かって呼び掛ける。
「…この穴いつ掘ったの綾部」
「下見の時に」
「それにしても深いね…」
「頑張りましたから」
まぁ、何はともあれこれで敵は全員倒したはずだ。
これで一安心、と張り詰めていた気を少し緩めて、片も付いた事だし戻ろうか、と二人に声を掛けて今来た道を引き返そうとすると、首元に手が回され、
背後から身体をがっちりと拘束される。
「はっ、油断したな。お嬢様は頂いていくぞ」
先刻久々知が倒したはずの男が復活したらしい。
まさかこんなに早く意識が戻るとは。
しかし不意を衝かれたとはいえ、私だって戦闘要員だ。
拘束を解こうと試みようとしたが、その前に背中に回された手にぐいっと力強く引き戻された。
「うちのお嬢様には指一本触れさせない」
いつもより近い場所で聞こえた低い声に、今私を庇うように抱き締めているのは久々知だと分かる。
久々知は自分の肩口に押さえ込むように私の頭を抱え込んでいるので、私から見る事は叶わないが、リボルバーをガチャリと回す音が響いた辺り、
相手に銃を向けているのだろう。
「今退けば、命だけは見逃してやろう」
「ぐっ…」
先程よりも低く、殺気も含まれた久々知のその声に相手は気圧されたようで、そう言い放たれた途端に私を捕えた男はすぐさま駆け出して行った。
「…ったく、お前は油断しすぎなんだよ」
「返す言葉もございません…。でもさっきの久々知格好良かったよ、うっかり惚れる所だった」
「“うっかり”は余計だ」
銃を再び懐に戻しつつ、久々知は私の拘束を解いた。お小言というおまけ付きで。
「先輩、僕は?」
「あぁ、綾部もありがとね、あの穴は見事だったよ。…あ、そう言えば久々知、さっき私の事お嬢様扱いしてくれたよね?別に無理する事なかったのに、
妙な所で真面目なんだから」
「別に無理なんかしてないさ。だって似合ってるぞ、そのドレス」
「……っ」
大人しくおしとやかに、なお嬢様役なんて普段の私とはずっと懸け離れていて、しかもこんな綺麗なドレスなんて、私の柄じゃないのに。
それなのに、さらりと「似合ってる」なんて言われて、そんな言葉が返ってくるなんて思ってもみなかった私は、何も言えなくなってしまった。
「…この天然豆腐が」
「ん?何か言ったか?」
「何も!」
あぁもう、この顔の熱が引かないのも、動悸が収まってくれないのも、全部この無自覚ド天然豆腐馬鹿の所為だ。
「ほら、仕事も一応片が付いたんだし、会場に戻るよ!」
会場内で感じた視線からして、私を狙っていたのは今倒したので全部だろう。
久々知の所為でこの場に留まりにくくなった私は、「デザートが待ってるんだから」と尤もらしい理由にかこつけて、この何とも言えない気持ちを振り切るように
足早に会場への道を戻り始めた。
「…久々知先輩ずるいです。僕が準備したのに、あのドレス」
「え、俺何か悪い事したか?」
もうそのままその無自覚男前も穴に落としちゃっていいよ、綾部。
例え魔法が解けたとしても
(君を守りたい、その気持ちは変わらない)