新婚さんごっこ〜勘右衛門の場合〜


授業を全部終えて、鞄に手を突っ込んで自宅の鍵を探りながらアパートの階段を一段一段上っていく。
晩ご飯どうしようかなぁ。冷蔵庫にまだ何かしら食材は残ってたと思うんだけど。
お腹空いたなぁ、なんて思いながら家のドアノブに探り当てた鍵を突っ込んで捻る。
…おかしいな、何でこれ以上回らないんだろう。
鍵を掛けた状態であるなら、こんな風にガチャリ、と音を立てて鍵がここで止まったりはせず、もう少し回るはずなのに。
普段ならカチャン、とすっきりした音と共に解除されるはずの鍵が作動しない。
ひょっとして鍵を掛け忘れてたのかな、まぁ万が一泥棒が入ったとしても、学生の身分である俺から盗む物なんかそうそうないと思うけど。泥棒の方もどうせ盗みに入るんだったらもっと金持ちそうな家を狙うだろう。
違和感を覚えつつもドアノブに手を掛け、向こうへと押しやると、明るく照らされた玄関に女の子が一人立っていた。
俺は一人暮らしだ。同居人なんているはずがない。だけど目の前には何故かエプロンを身に纏い、嬉しそうに笑顔を浮かべる女の子がいる。
「おかえりなさぁい、あ・な・た!ご飯にする?お風呂にする?それとも…私が良かったりするのかな勘ちゃんは?」
「…うん、ただいま」
俺の家に当たり前のように存在していた女の子には、凄く見覚えがある。見覚えがあるどころかちゃんと俺と関係性を持った人間だ。
どれだけ考えても何でがここにいるのかとかどうやって俺の部屋に入ったのかなんて分かるはずがない。
が俺の家に入った所で何も不都合はない。深く考えるのは止めて、大人しくこの状況を受け入れる事にした。
ちょっと行儀は悪いが履いていたスニーカーを脱ぎ捨て、嬉しそうに出迎えてくれたを、ぎゅう、なんて効果音が聞こえるくらいに思いっ切り抱き締める。
「出迎えてくれるなんて嬉しいなぁ、まさかの手料理を食べれる日がこんなに早く来るなんて思ってもなかったよ。あ、そのエプロン可愛いね!」
「え、あ、ありがとう…」
勘ちゃんってば冷静ね、もっと驚いてくれるかと思ったのに。そんな事を言いながらも顔を俺の肩に埋めるようにしてぎゅ、と抱き付き返してくれる。
隠し切れていない頬に朱色が差しているのには気付かない振りをしてあげよう。指摘するときっとへそを曲げるだろうし。
「…あぁ、ご飯かお風呂かかの三択だったかな?さっきの」
「ん、どっちにする?ご飯?お風呂?」
今出された選択肢の中に彼女自身が入っていないのは、恐らく冗談交じりで言ってみただけだからなのだろう。
だけどやっぱり、あんな可愛い事言われちゃ、ねぇ?
「俺さ、好きなおかずは先に食べる派なんだよねぇ」
「……?まぁ、そう言われればそうだなぁって思い当たる節はあるけど?」
いきなり話題が別方向に行った事に首を傾げながらも、は返事を返してくれる。
別に話を切り替えた訳じゃない。この話は先程の話に続く訳だ。
「だからさっきの三択だったら、迷わずを選ぶかな」
新婚さんごっこのつもりなんでしょ、だったら新婚さんらしく甘い夜を過ごすのもいいんじゃない?
抱き締めたまま耳元でそう囁くと、「え、えぇぇぇぇ!?」とがばりと身体を起こそうとした。…勿論そんな事させなかったけど。
「で、でも、ご飯もお風呂も折角準備したのに…っ」
「まぁまぁ、ご飯は後で温めればいいし、お風呂だって後で温めて一緒に入れば万事解決、問題なしじゃない?そのために文明の利器が発明されたんだからさ、どうせなら有効活用してやらないとね」
「…うぅ…」
先刻までよりずっと赤く染まったその頬に軽く口付けて、言い返す言葉を見つけられなかったのだろう、抵抗を諦めたらしいの肩を持って向かい合う姿勢になり、改めて俺の答えを告げる。
「それじゃ、頂きます」
そう言ってにっこり。まだまだ夜は長い。どうせなら楽しまなくっちゃ、ね?