待ちに待った夏休み。
本来なら私も実家に帰ってまったりと手伝いをしながら、地元の友人と会ってなかった時間の分、話に花を咲かせているはずだったのに。
スイカでも食べながら縁側で涼んで、ゆったりと読書にでも勤しもうと思ってたのに。
何で未だに学園にいるんだろう、私。
勿論理由はわかりきっている。
帳簿が未だに仕上がり切ってなくて、我らが会計委員長、鬼の鍛錬馬鹿先輩もとい潮江文次郎先輩が帰らせてくれないのだ。
そんなこんなでこの猛暑の中、連日徹夜続きで算盤を弾き続けていた訳なのだが、今はそんな地獄がまるで嘘であるかのようにのどかだ。
セミがけたたましく鳴いているのを聞きながら、縁側に腰掛けてぼーっと見慣れた風景を眺める。
「ねぇ三郎、ミンミンミンミンやかましいセミ共を一匹残らず撃ち落としてきてくれない?あの自己主張聞いてるだけで暑苦しくて
凄いイライラしてきたんだけど」
「お前、そんな事言ってるとハチに暑苦しく説教かまされるぞ」
学園の縁側でぼーっとしているといつの間にか団扇を手に私の隣に陣取っていた三郎に話し掛ける。
私と同じように、三郎も委員会の仕事が残ってるのかと思ったら違ったらしく、「どうせお前と同じ方向なんだ、一人で帰ったってつまんねぇだろ」と、
夏休みの課題に取り組んだり図書室の本を読んだりして気ままに過ごしている。
どうせならその変装の腕を活かして、私の代わりに帳簿仕上げてくれないかな、なんて考えたりもしたけれど、頼んでもいない余計な事まで
やらかしてくれそうなので、それは何とか思い留まった。
その代わりに、このセミの大合唱をどうにかしてもらおうかと言ってみたのだが、半ば呆れた表情で溜め息交じりに返された。
「…それは勘弁。だったら代わりにあの遠くで無駄にギンギンやかましい鬼の鍛錬馬鹿委員長を黙らせてきてよ」
「…お前は俺に恨みでもあんのか?俺に死刑宣告してんのか?」
「私三郎なら出来ると信じてる」
竹谷に説教される図がありありと思い浮かべられる。
考えるだけで体感温度が上がり、眉間に皺が寄る。
仕方ないので、ここは竹谷の熱さに免じてセミにも自己主張する権利くらい認めてやろう。
その代わりにセミと違って必要もないのに騒音を発している、この暑さにわざわざ無意味に拍車を掛けている委員長をどうにかしてもらおうと
頼んでみたが、物凄く嫌そうな顔をされた。
「……ところで今日は委員会は」
「この暑さと睡眠不足とギンギン委員長の鍛錬に付き合わされた所為で下級生が脱落したから、流石の鬼委員長も休みくれたんだよ珍しく」
「それ本物の潮江先輩か?それとも先輩もこの暑さにやられておかしくなったのか?」
「多分解読不能の帳簿を増やすよりはマシだってやっと学習してくれたんじゃないかな。団蔵君のは元々何もなくても暗号レベルだったけど、
三木の帳簿すら危うくなってきたから」
「…成程な」
もっともな問い掛けをしてきた三郎にありのまま答えを返すと、信じられないといった表情で潮江先輩偽物説を提示された。
うん、まぁそう言いたくなる気持ちも理解出来る。
私も正直そう思った。実は三郎が変装してるんじゃないかとか疑ってた。
実際は正真正銘の本人だった訳だけど。
委員長もああ見えて優しい所あるし、あれだけぐったりしてる後輩に鞭打つ事は流石に気が咎めたんだろう。
一日だけ休む事を許可してくれた。
「そういう私も実は今果てしなく眠いんです」
「だったら寝てこいよ」
「暑すぎて眠れないんだって!」
本当は今すぐにでも意識を手放したいくらいだ。
だけどとにかく暑くて、焼け焦げるんじゃないかってくらいに暑くて、寝るどころじゃない。
この際寝れるなら池の中でもいいや、とか思えてきた自分が恐ろしい。
確実に委員長に毒されている。
三郎に切実に訴えかけると、ちょっと困ったような表情になった。
そりゃそうだ、三郎に言った所で涼しくなる訳じゃないし。
言わない方が良かったかな、と思い始めた時、三郎が口を開いた。
「…あー…じゃあ俺が扇いでてやるから、ここで寝ろ」
あれ、私の頭も暑さにやられたのかな。
三郎がありえないくらい優しい言葉を掛けてくれたように聞こえたんだけど。
「…寝るのか寝ないのか、どっちだ」
多分思っていた事が全部顔に出ていたんだろう。
少しイラついたように三郎が言った。
あぁ、じゃあ先刻の言葉は現実のものだったんだ。
その時の私は本当に眠くて眠くて、三郎の言葉が現実のものだと理解すると、後から冷静に考えれば恥ずかしさのあまり
埋まりたくなるくらいの事を当然のようにしてのけた。
「…オイ、お前何しやがる」
「膝くらい貸してよ…別に減るモンじゃないんだし」
この時はただ「床が固いから」とかそんな理由で枕代わりになる物が欲しくて、私は何も考えずに三郎の膝の上に頭を預けた。
三郎も私が目を閉じたのを見て諦めたのだろう、「…ったく、しょうがねぇな」と言いながらもそのまま寝かせておいてくれた。
「起きたらかき氷くらい食いに連れてってやるから、とりあえず今は大人しく寝てろ」
夢か現か、ぼんやりとした意識の中で聞こえてきた言葉は、私を嬉しくさせるには十分すぎるものだった。



夢か現か

(微睡みの中感じた、頭を撫ぜる手の温もりは)