「トキヤくんトキヤくん!トリックオアトリート!」
「…また随分と早いですね、今日は」
いつも通り、始業のチャイムが鳴らされる時刻に余裕を持って教室の扉を開けたトキヤくんは、私の姿を確認するなり目を二、三度瞬かせた。
どういう風の吹き回しですか、なんて失礼な質問をぶつけてくるのも忘れずに。うん、余計なことまで口にしてくれる。これもいつも通りだ。
きっちり早寝早起き、規則正しい生活を送っているトキヤくんと違って、いつも遅刻ギリギリに教室の扉をくぐる私。
だがしかし今日の私は一味違う。ある目的のためにわざわざ愛しいお布団に後ろ髪を引かれながらも別れを告げ、ここで待機していたのだ。 きっちりした性格のトキヤくんが早めに教室に来ることなんて神宮寺くんが女の子を見れば口説くのと同じくらい予想出来ることである。
「どうぞ」
さっと鞄に手を突っ込んだかと思うと、思いもよらない物体が出てきた。ひょっとして慣れない早起きをしたせいで起きていながらにして面白い夢でも見ているんだろうか。
トキヤくんの言葉の意味が飲み込めず、彼の手に握られたものをじっと見つめる。
「これが目当てなんでしょう、いつまでも呆けてないでさっさと受け取ったらどうです」
「これ」と称されたもの、それは女の子が喜びそうな可愛らしい包みだった。間違ってもトキヤくん用ではないその包みの中身は見なくても分かる。
この流れならお菓子がぎゅっと詰められていることだろう。凡そトキヤくんには不似合いな可愛らしい包みのおもてなしに私はどう反応していいのか分からなかった。
何で、だってトキヤくんは普段からアイドルとして気を遣ってて、口にする物にもいつも気を配っていた。間食なんて絶対にしない主義のはずなのに。 特に、こんなカロリーの高そうなお菓子なんて進んで買うはずもないのに、何で。
「…ねぇトキヤくん、これどうしたの」
「あなたの望み通りの物を差し出してるんですからつべこべ言わずに素直に受け取ったらどうです。それとも何か不満でも?」
素朴な疑問を口にすると、それには答えてくれず、代わりに凄く早口でツン全開発言を捲し立てられた。 トキヤくんこそ素直に「のために用意したんですよ」とか言ってくれればいいのに。…いや、そんな素直なトキヤくんなんか想像つかないな。 熱でもあるんじゃないかって心配になってくるレベルだ。
「トキヤくんがお菓子を持ってることが全面的に不満です」
「…………」
では私にどうしろと。声に出してはいなかったがトキヤくんの顔がはっきりとそう物語っていた。
そう、私はトキヤくんがお菓子なんて持ち歩いていないことを前提に計画を立てていたのだ。 こんな風に「あなたのためにわざわざ準備してきたんですよ感謝なさい」と言わんばかりの準備をしてくるなんて、誰が予想出来ただろうか。
「こういったイベントにやたら拘るあなたの行動なんて想定済みですよ」
「くっ…!」
「分かったらさっさと私にも出したらどうです」
いつまで経っても受け取らない私に痺れを切らしたのか、トキヤくんとは正反対の明るい色合いの包みを私に押し付けるように握らせると、今度はその掌を私の方に向けた。
「何を?」
「決まってるでしょう。お菓子ですよ。…あぁ、出来るだけ低カロリーなものでお願いします」
おいしかもさらっと注文まで付けてきたぞ。何様だ。今を時めくHAYATO様か。なら仕方ない。私はこの注文は聞かなかったことにした。
…いやそもそもトキヤくんのお眼鏡にかなう低カロリーなお菓子というものはこの世に存在するんだろうか。絶対基準厳しそうだ。 どう考えても私の低カロリーとトキヤくんの低カロリーが同水準でないことは明らかだろう。
「えー…トキヤくん間食あまりしないじゃない?まさかトキヤくんまで私みたいなこと言うとは思ってなかったなー…」
「素直に『ない』って言ったらどうです」
どうにかお菓子は諦めてもらおうとそれとなく用意してないですオーラを振りまいてみた。
既にプロとして活動してるだけあって、言葉は棘だらけな割に空気を読むスキルは一流なトキヤくんは察してくれたらしい。 全く、とでも言いたげにこれ見よがしに溜息を吐かれた。トキヤくんの幸せは空気中にばら撒かれたことだろう。
「持ってないなら仕方ないですね」
「…え、あ、」
あなたの持ってるそれ、お借りしますよと言い終えると同意を待たずに私の手からすっと目標物を抜き取り、何の迷いもなく私の頭に装着した。
…トキヤくんのためにわざわざ用意しておいた、とても愛らしい猫耳カチューシャを。
「……こんなはずじゃなかったのに、こんなはずじゃなかったのに!」
「いいじゃないですか、よくお似合いですよ?少なくとも私よりはね。思惑が外れて残念でしたね」
「残念」とか言ってる割にそのお顔は随分と嬉しそうじゃないですかトキヤくん。ねぇちょっと!あなた笑い声噛み殺し切れてませんよ! 私の耳まで届いてるんだからね!折角トキヤくんの髪色に合わせて黒い猫耳用意したのに…!
くっくっとそれはそれは楽しそうにトキヤくんは笑っていた。普段ならレアなトキヤくんの笑顔に大はしゃぎするところだけれど、残念ながら今の私にはそれだけのゆとりがない。 自分の格好をよーく分かっているからだ。私アイドル志望じゃないからこんな羞恥に耐える特訓する必要ないのに。
「折角黒猫トキヤくんに『にゃあ』って言わせるつもりだったのに…っ!普段冷静なトキヤくんが屈辱に耐えながら『にゃあ』って言うところ見たかったのにー!」
「それはご期待に添えずに申し訳ありませんね、では代わりにあなたが言ったらどうです?」
悔しいことにトキヤくんは私よりも数段上手だった。完全に優位に立ったトキヤくんはすっごく楽しそうだ。
なかなか見せてくれない年相応な表情に不覚にも逆らえなくて、私は白旗を揚げるしかなかったのだった。
魔法使いの剣の行方