実技の授業を終えて迎えた放課後、今日は宿題もなければ委員会活動も特にこれといってない。
何をして過ごそうかな、と考えながらぼんやりと校庭を歩いていた私は、途中から誰かがついてきている事に気が付いた。
遠ざかっていく訳でもなく、かと言って近付いてくる訳でもない足音は、試しにと私が立ち止まれば止まるし、再び歩き出すとまた追ってきて、
つかず離れずの距離を保ってついてくる。
流石に気になってきて、思い切って後ろを振り返ってみると、そこには珍しく穴掘り道具を持っていない友人の姿があった。
「おやまぁ、見つかった」
「…何してるの喜八郎」
「隙を探してるの」
うーん、相変わらず掴めないなぁ。
喜八郎の言葉の意味を考えていると、私に伝わっていない事がわかったのか、説明を補ってくれた。
「”ほわいとでー”は相手の隙を窺って頭から小麦粉をかけて全身真っ白に染め上げる行事だって委員長が言ってたから来たんだけど」
違うの?と言うように可愛らしく首を傾げる喜八郎は、本当にホワイトデーの事を知らなかったのだろう。
立花先輩、確実に面白がって喜八郎にデタラメ吹き込んだな。
どうせならあの人を小麦粉塗れにしに行ってくれれば良かったのに。
このままだと被害者第一号が私になる事は確実なので、私をじっと見つめて答えを待っている喜八郎に、きちんと正しいホワイトデーについて
教えてあげる事にした。
喜八郎は私の説明を聞いて納得してくれたようで、小麦粉攻撃をする気はなくなったようだ。
それにしても、やっぱりまだ外は冷えるなぁ。
立ち話してたら、何だか寒くなってきた。
「ねぇ、寒くなってきたし私の部屋においでよ。先に行って部屋暖めてくるからさ」
喜八郎も時間があるようだし、この寒空の下で話し続けるのも何なので、私は部屋に彼を招き入れる準備をしようと踵を返して踏み出そうとした。
だが、それは「待って」と喜八郎に袖をきゅっと掴まれて阻まれる。
「寒いなら暖めてあげる」
その言葉が私の耳に入った時には、私の目の前は紫に染まっていた。
「え、」
この状況を認識して思わず身体を少し離そうとしたら、先刻よりも強い力で抱き締め直された。
「暖かいでしょ?」
「……まぁね」
「今日はずっとこうしててあげる。チョコを貰ったらお礼するんでしょ」
…あぁ、そう言えば喜八郎だけにはチョコをあげたんだったか。
滝夜叉丸や三木ヱ門、タカ丸さんの分どころか私が自分で食べようと思ってた分まで見事に食べ尽くしてくれたんだよね。
後で皆に話したら「成程、アイツらしいな」って笑われたっけ。
これは喜八郎なりのお礼で、別に深い意味なんてないのだろう。
それはわかってるんだけど、やっぱり少し意識してしまう。
私の心臓の音、喜八郎に聞こえてないといいな。
「外が寒いなら僕の部屋に来ればいいよ、邪魔な滝夜叉丸は追い出せばいいし」
「いや、別にいてもいいんだけど…」
「自慢話を聞きたいの?」
「…是非とも追い出して下さい」
喜八郎の圧力に押されて、思わず敬語になってしまった。
滝夜叉丸も悪い奴じゃないんだけどなぁ、一旦自慢話が始まると長いんだよね。
「じゃ、行くよ」
そう言って私を包んでいた腕を解くと、今度は私の手を取って歩き始めた。



結局、あの日は喜八郎の部屋に行った後もずっと抱き付かれたままで、彼の宣言通り、本当に一日中そんな状態が続いた。
「それにしてもお前ら、この私を追い出してイチャつくとはやってくれるな」
「べ、別にイチャついてないよ!”寒い”って言ったらああなったの」
滝夜叉丸は恨めしげに文句を言ってくるが、私達が部屋に入るなり「丁度いい所に来たな二人共、この私の今日の活躍について…」
なんて語り出した彼にも非があると思う。
喜八郎は躊躇う事なく滝夜叉丸を寒空の下へ放り投げた。
「…滝夜叉丸はやられた事ないの?」
「ある訳ないだろう、私が”寒い”と言ったとしても”あ、そう”で終わらされるぞ」
そう言えば、とふと湧いてきた疑問をぶつけてみたら、物凄く顔をしかめられた。
「え、じゃあ私だけ?」
「お、噂をすれば本人のご登場じゃないか。後は本人に確認してみるといい」
滝夜叉丸が指差す方向を目で追ってみると、いつもの穴掘り道具を携えた喜八郎が歩いていた。
「うん、じゃあ聞いてみるよ!」
喜八郎、と名前を呼んで駆けて行った私を見送った滝夜叉丸の、「…そろそろ気付いてやれよ、いい加減アイツが可哀相だ」という同情に満ちた言葉が
撤回されるのは、そう遠くない未来である事を、今はまだ誰も知らない。





君専用湯たんぽ

(「ねぇ、喜八郎って私しか暖めないって本当なの?」「当たり前でしょ、何言ってるの」)